2010年02月16日    仕分け\(^_^)/

 仕分け作業でその事業が廃止になるかもしれない!
という危機感を持ち始めた施設などの担当者の一般者
への対応が、最近ものすごく丁寧です。

 今までなら、むちゃくちゃ上から目線な態度で、
その施設を「使わせてやる」という姿勢でしたが、
最近は「皆さんに使っていただいてこそ生きる施設です」
と、本当にソフトな対応で、驚いてしまいました。

 ひょっとしたら施設運営を民間委託したところから、
そういうことになっているのかもわかりませんが、
とにかく、そういう場合でも、仕分けの対象には違いなく、
とても丁寧な対応で、利用していても本当に気持ちがいい。

一方、まだわかっとらん人が窓口にいる場合もあるんです。
ゆーたろかいなと思ってしまいますが、そうするとこちらが
上からの物言いになり、それもどうかと言わずじまい・・・。
きっと、そういうところって、仕分け作業で消えてしまうわ。
そこの職員には、そういう自覚が全然足りない。辞めさせ
られるわけではないから、考える必要がないのだろうか。
ちなみに、これは某地方自治体。地方を痴呆とミスタイプ
しそうになったが、あえて間違えてもいいくらいだとさえ
思えてしまう・・・。

以前も書いたが、主権在民つまり、痴呆な自治体を形成
しているのは、住民。はぁ・・・

なんとかせねば。考えて動こうっと。でもそれはナイショ。


Posted by B子 at 02:59 Comments( 0 )

2009年09月27日    「パンデミック」客観と主観

とうとう、日本で蔓延を始めた新型インフルエンザ。
フェーズ5とか6とか、メディアはガンガンあおってきます。

私は、この現象を受け入れようと思っています。
なぜなら、人間は増えすぎてきているから。

どんな生物も、増えすぎるとその増殖にブレーキがかかるように
出来ていると思うのです。
もちろん、例外も今まであったかもわかりませんが、恐竜のように
絶滅している場合もあるわけです。

たとえば、この日本においては、ヒトの生態学的なキャパは
3000万人くらいだと 何かで読んだことがあります。
それ以上の場合は、自然を食いつぶして自らもそのうち
滅びるほどであるとか。

昔から、時々 病気が流行したり、あるいは 戦争などの
大量殺戮で 人数が激減して、今に至るわけです。

戦争や大量殺戮は、もちろん反対です。
そしてさらには、医療技術の発達で、人は生命をますます
永らえています。それも、反対にはおよびません。
(日本尊厳死協会には入っていますが)

そうしたら、せめて パンデミックくらいは受け入れないと。
と、思ってしまうのです。


けれど、それは 客観的な考え方であり、主観はというと、
やはり 肉親友人知人に死者でもあれば、悲しみはひとしお。
知らない人でもやはり、お亡くなりにでもなれば、悲しいし、
インフルエンザにかかっている間は、本当にしんどいし、
どうぞ みんながかかりませんように・・・となります。

なので、オオヤケの立場の人達の見解は、後者となり、
今のような大騒ぎとなるわけです。

ふたたび戻って私はというと、インフルエンザの予防接種は
しません。マスクもかけません。あえて、感染者の多い土地に
向かうまではしなくても、普通に生活し、そうなったら
そうなった時とカンネンしています。

ただ、自分は感染してもいいと思っていても、自分がたとえば
妊婦さんにでもうつしたら、それはやはり申し訳ないので、
その時は、なるべく人にうつさないように行動するでしょう。
 
主観と客観のはざまで、つらぬきとおしにくい現状ですが、
そんなふうに思っています。


Posted by B子 at 00:06 Comments( 0 )

2009年08月22日    保水力のある場合

土地に保水力のある場合、急にたくさんの雨が降っても、
一度に川へ流れ込みませんから、水かさが急に増えません。
少しずつ少しずつ増えていき、雨がやんでもすぐ減らず、
しばらくはまだ増えるくらいで、それから 少しずつ
少しずつ減っていきます。

まちなかの場合、保水力があるというのは、どういう状況
でしょう?
・緑が多い(庭・街路樹・畑・田んぼ・鎮守の森・学校林・・・)
・池が多い(天然の池・人工池・田んぼ・沼地・湿地・・)
反対に、保水力のないまちを想像してみましょう。
・コンクリート、アスファルト、屋根ばっかし!
(それでは、雨の水は全部川へ行きますよね。)

そんな中、「浸透枡」と「雨水タンク」の普及が求められています。
「浸透枡」というのは、樋や側溝の水を一時的にまとめる枡に穴を開け、
地面にしみこませるようにしたものです。これで、いっきに全部
川へ流さずに済むということです。
雨水タンクも同じこと。大津市では今、それらの設置に補助金が
出るみたいです。でも、全額出るわけじゃないから、
そこまで考えて取り組む人は、よほどの人でしょう。火災報知機と
同じように、今後 強制的に設置義務があるようにしていかないと
100%の普及は無理。もちろん、公共的な部分も同じこと。

ささやかな話ではありますが、雑草を抜かない というのも、
保水力を高める方法です。更地でも全く草がないところだと、
雨はなかなか浸透していきません。グランドがいい例。
アスファルトの隙間に出ている草だって、あるのとないのでは
水のしみこみ方が全然違うのです。茂って邪魔なら、一定の
高さに切りそろえるなどの策がベスト。案外、根こそぎ引いて
綺麗になった!スッキリした!と、思っている人が多いのですが、
これからはそういう人は、考えの古い人、考えの浅い人と
みなされるでしょう。

次に、山間部。保水力のある山。(これは前回コメントを下さった
michiさんの得意なところですネ。)広葉樹が多い山が保水力の
ある山といえましょう。広葉樹は、基本的に根が深い。そして、
落ち葉の堆積。(スギヒノキは落葉樹でなない) そういう山から
流れてくる雨水は、まず泥水色をしていません。どんなに雨が
降っても、きれいな色をしています。(ですよね^^;)そして、大雨で
もどんどん地下にしみこみますから、増え方も減り方も少しずつ。
(ただしこれには異論のある方も多いでしょうね。たしかに
小川の水かさも結構増えるでしょうから。でもそれは、保水力の
ない状態との比較でとらえてくださいませ。)というわけで、
もよりの山を大事にする意味がそこにもあるのです。
山に降った雨水は、地下水となり、遅いものでは里に流れてくる
のに何十年もかかるらしいですから、将来の水を確保するには、
今が大事。さっそく四国では、川の水が枯れてきているところが
あるそうですから、どれだけ広葉樹を伐採してしまったかよくわかります。

そんなこと、昔は全く考えませんでしたが、最近とても考えます。
奥山を広葉樹林として保護しておくことは、とっても大切!
(そうしたら、里で人々に迷惑をかけている動物達の食べ物も
 きっと奥山にあるでしょう。もう人工的にオイシイ物を
 覚えてしまったかもわかりませんが・・・)


Posted by B子 at 21:14 Comments( 2 )

2009年08月15日    川の水が泥水色の理由

雨が降って、水かさが増えると同時に
川の水の色が、泥水色になる場合、危険でないなら
その原因を調べておいた方がいいと思います。

きっと どこかの土が流れているのです。
そこが、原因なんです。

私が今までに経験したのは、上流に造成地がある場合と
山崩れが起こっている場合です。

田んぼや池や谷が埋められて、まずどこかから土が
運ばれ、家やマンション、お店や工場が作られていきます。
その過程の途中、裸地状態のところに雨が降ると、土が
洗われ川に流れていきます。

そんな場合は、その上流は、泥水色ではありません。

もう一つ、もっともっと上流の山奥でも 今大変なことが
起っています。スギやヒノキを植えて間伐せずに放ったらかし
のところは、カイワレみたいに木が育ち、地面のあたりは、
光がとどかず、草も生えません。そこに雨が降ると、地面は
雨にたたかれ、土や砂を流していきます。

造成地の場合は、工事が終了すると、泥水はおさまります。
(もちろん、そこの土地の保水力は激減するわけですが、それは
 またいつか別の機会に書きます。)
けれども、山の場合は、ここから もっと怖いことになります。

雨のたびに少しずつ土が流れていくと、木の根が現れていきます。
スギやヒノキは、根が浅い木なので、どんどん水で土が流れて
いくと、そのうち ばったばったと倒れていくのです!
そして、川に流れていくのです!これが、流木問題!!

兵庫県西部であった大雨による大被害。
ここでも、橋の欄干に流木がかなりひっかかっていたみたいですね。
流木がひっかかると、橋は壊れやすくなります。

保水力が低いと、増水の比率も上がります。

「泥水のはじまり」夏休みの研究にでも いかがでしょうか。
もちろん安全第一で。
行政になんかまかせておけない今日この頃です。


Posted by B子 at 21:13 Comments( 3 )

2009年07月12日    日本への侵略種の一番はヒトだと思う

今日の朝日新聞に「生態系再生へ巨費」という
見出しがあり、そこに「日本へは96の『侵略種』」
と書いてありました。

外来種問題として、昨今いろいろ言われていますが、
なんやかんやゆーて、一番の侵略種は、ヒト。
このブログでは何回か書きましたが、あらためて
書きたくなりました。確かに、セアカゴケグモは
イヤです。でも、人間にとって不用だったり
不利なものは、全部消してしまっていいのでしょうか。

もちろん、そういう種類の生き物に自分や家族が、
被害を被ったら、それはもう主観と感情のの域に
入りますから、私も発言しずらくなるでしょう。

ただ、客観的に考える必要はないのでしょうか。


そんなこんなを考えていると。

昨今、自殺・他殺が増えたり、非婚化だったり、
カップル間でもセックスレスだったり・・・

それらは、自分たちで本能的に数を抑制しようと
動いているようにも思えてきます。
(もちろん個人的には否定していますが)

とにかく、外来種外来種と騒ぐのは、そこそこに
しておかないと、私たちの税金は、欲の深い
どこぞへ 流れていくやもしれません。

種なんて、大昔から増えたり減ったり
しているもんです。


Posted by B子 at 10:06 Comments( 0 )