2007年03月21日   稚魚の放流の新聞記事を見て思う

 ええことしてはるなぁ。という思いと同時に、本当に
 それが実ることなのかが、いつも心をよぎる。

 そこは棲める環境でなくなったからいないのだから、
 結局棲めないのではないだろうか。

 だいたいそのような新聞記事の写真に使われるのは
 ポリバケツに入った稚魚をじゃあ~ と、流して
 いる場所が コンクリートの絶壁のようなところだ。
 
 悪いが あほちゃうか!?とさえ思えてくる。

 特に幼い子供達にそれをさせる感覚が、
 正直 子供にそれがおかしいことだということを
 育てないわけで、頭にハテナマークが飛び散って
 卒倒しそうになる。

 稚魚に棲みよい場所というのは、もっと
 浅瀬で底に砂があったり藻があったりする場所
 ではないだろうか?
 
 かつて、東京の多摩川に鮎をもどそうと、
 稚魚が放流されていたらしいが、ほとんど
 死んでしまっていたらしいことが
 わかってきている。
 
 それでも、わずかに海辺に残る砂浜には
 随分遠いところにでもたどりついていて、
 育ち 産卵の為、ふたたび川をのぼる。
 その時、簡単な堰もたいそうなダムも
 そのどちらがあっても、そこまでしか
 行けないので、そこで終わってしまう。

 そうして、魚道が作られた。
 川の中央に作られたものはダメらしい。
 魚はドンつきまでいって横にそれ、上にのぼれる
 場所を探す性質があるから。川のわきに魚道が作られると
 そこからまた上っていける。
 
 稚魚の放流を繰りかえすエネルギーがあれば、
 棲める環境にしていく努力をした方が
 いいように思えてくる。

 けれど、小心者なので、面と向かっては
 言えない。一生やってて下さい と思う。
 心意気だけは 買うが。
 
 とはいえ、何もしない人よりマシだとは思う。
 いくら放流しても、増えない事実を作れますから。
 その時、初めて その方法ではいけないことが
 分かってきて、次にはつながる。
 また、どうしたいか というメッセージは
 伝わる。

 でも、もう本当はわかっているのだから、
 わかった人はそれを伝えないと
 もったいない。

Posted by B子 at 11:46Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月19日   骨のある人 求む!

公務員というのは、職場環境がそうさせるのか
 あまり頑張らない人が多いように思います。
 頑張っても、頑張らなくても、お給料に関係が
 ないからかしら。あるいは、頑張ると浮いてしまう
 のかしら。とにかく、上から言われたことだけを
 ほどほどにこなしていくのがベストだという感じの
 人達 という印象がある。

 そこでは、自分の頭で新しいことを考えてはいけない。
 もっとこうしたらいいのに、とか 考え出したら上司との
 軋轢でもって、人間関係にヒビがいく。それだけでなく、
 出世にも響く。言われたとおりのことだけ、おかしいと
 思っても、やり続けるのが 年金をより多く受け取れて
 安泰に老後を送れる道につながる。

 一方、一般企業では、そういう悠長なことをしていると、
まず その人は能力のない人とみなされる。
 自分の意見も言いながら、なおかつ 職場の人間関係を
 円滑に進めた人がのし上がっていく。難しい。けれど、
 それだけ こなれた人間が作られていく。

 (いや、案外 結局 役所もそうなのかしら・・・・・。)

 行政をよくする と、よくいうが。
 優れた議員を選ぶのも大事だが、本当に本当に
 難しそうだけれども 骨のある公務員が
 この社会を変えると 私は思う。


 そして、研究者。

 残念ながら、この国の研究システムが起因している
 ようだが、研究者は研究費を捻出する為には、骨抜きに
 ならざるを得ない部分が多々あるような気がする。

 琵琶湖をどうやったら きれいな環境の湖に出来るかを
 研究者は一番良く知っている。素人あたまで考えたことを
 広めようと思い、あれこれサイトで調べていたら、何十年も
 前に どこぞの学者が発表していたりする。けれど、彼らは
 発表しても 実践しようとか 次につなげる努力をしていない
 ことが多すぎる。ほとんどだ、といっても過言ではない、
 と言えば ほんの人握りのそうではない人が 反論して
 くるだろうから そこまでは言わない。

 だが、たとえば 農薬被害、公害、薬害、環境破壊のこと・・
 だいたい 学者レベルのあいだでは 何十年も前から
 わかっていることがほとんどだ。

 けれど、そこから 次になかなかつながっていない。

 研究者だけを非難するのも気の毒だが、それを
 学会のような ごく一部の人たちに広めて 仲間内で
 認めあっているだけで、満足している研究者の
 いかに多いことか。

 そんな中、研究者たちが集まり協力して琵琶湖の
 低酸素化の監視を続けていく という異例の声明を
 出したそうな。

 それは、今朝の京都新聞に書いてあり、ということは
 そういう研究者達の発するメッセージを 伝える
 役割をしてくれるメディアも大事だということで、
 結局 どこにでも 骨のある人間が必要だということに
 ほかならない。


 「あ!?」と、思ったことを流さない。

 しんどいけれど、ここからしか始まらない。
 
 
 私は、公務員でも研究者でもマスメディアの人間でも
 ないが、彼らを応援するとともに、自分でやれることは
 何だろうと 思い気づいたことをやっていきたい。

 しかし、黙って実践している人も多い。 
 口ばっかりにならないよう気をつけたい。

 でも、何もしない口も出さない人より
 口だけの人の方がましかな とも思っているのです。^^;

Posted by B子 at 21:35Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月18日   今日はユルいネタで^^;

 雪が降って来ました。
 大津で飲んでましたんです。^^;
 外へ出たら・・・・!

 最近またほんまに寒いですね。
 暖冬暖冬と騒いでいたら、これですわ。
 そこが、おてんと様のおもしろいところです。

 おもしろがっていられるうちは、いいのですが、
 いろいろ暮らしに多大な影響&被害が及ぶと
 気楽な表現は してられませんね。

 
 とはいえ、ここ滋賀県は 本当に面白い
 場所だと 雪が降る度に思います。

 ちょっと北へ行くと、様子がどんどん
 変わっていきますから。

 小学校か中学校の理科で習ったとおり、
 ここ滋賀県は、日本海式気候と太平洋式気候の
 境界線がちょうどまん中へんを横に走っております。

 とはいえ、その線の北と南でがらっと変わるわけでは
 もちろんなく、少しずつグラデーションのように
 変化をしていきます。もう少し正確に言いますと、
 ちょっとした峠や川を越えるたびに変わっていく
 感じがします。

 そして、その境界線も、毎年それぞれの気候の
 勢力の違いによって、少しずつずれていましょうし、
 そうでなくて全体としても 毎年あたたかかったり
 寒かったり するわけです。

 そんな変化に富んだ環境から、ここ滋賀県は
 動植物の種類がとても多いと聞いたことがあります。

 また、それらの種類が多い程、自然環境的に
 何かあったとしても 復元できる能力が高いとも
 聞いたことがあります。

 あとはニンゲンがこれ以上痛めつけることを
 どれだけするかで、復元能力が失われたり
 復活したりするでしょう。

 絶滅危惧種というのも たくさんあるとか。

 あれ、ユルいネタのつもりだったのですが、
 やっぱりカタい事を書いてしまったかもです。

 アルコールのせいにさせて下さい。
 夜更かしまでしてしまってます。。。

Posted by B子 at 02:40Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月09日   「袋要りません。」を言うタイミングが難しくないお店もある。

  それは、昔ながらの小売店。大抵、お店の人は、
 接客サービスとして昔ながらの世間話を当然としながら、
 売り買いを進めていく。だから、コミュニケーションの
 体制が万全なのである。たとえば、テニスでサーブを待つ
 相手が「どっからでもどーぞ」と言わんばかりに、体を
 左右に振りながら受け入れ態勢を整えているような状態。
 客は いつでも自分の言いたいことが言えるし しっかり
 その言葉を受け取ってもらえる。まあ、愛想のない老舗
 というのもあるが小売店が厳しいこのごろは、特に
 そこへ訪れるお客へ対応は丁寧だとさえ思われる。

  だから「袋は要りませんよ」だけではなく、他にも
 いろいろしゃべってしまう。 

  合理性を追求した、昨今の経営方法ではまず世間話は
 不可だ。並んで待つ次のお客もいらいらする。

  ぎすぎすした世の中を作っている一端は、ここに
 あるのかもわからない。

Posted by B子 at 23:58Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月08日   滋賀県民は本当に環境意識が高いのだろうか

 以前から、常々思っていたことである。本当は、ここの県民は
環境意識がとても低いのではないだろうか。

 東京に行った時、その思いはより大きいものとなった。
渋谷の大きな道路沿いのケヤキの大きさには、目をみはった。
塀をわざわざL字、凹字に作ってでも残して育てている木も
何箇所か見た。一方、こちら滋賀では、街路樹が、ずたずただ。
 道路は、そこを走る車の出す排気ガス、廃熱、また夏には、
アスファルトから、発する熱が凄い。緑は天然の空気清浄機と
いわれている。その枝葉そのものがフィルターの役割にもなり
もちろん、二酸化炭素を吸収し、酸素を供給し、日光から
アスファルトが焼けるのを守ってくれる。夏の緑のトンネルは
本当に快適である。それなのに、滋賀の街路樹はきつい剪定で、
見ていて悲しい。

 そして、今回 このことを特に書きたい と思った理由は、
あの映画「不都合な真実」を上映している映画館が県内には
今なさそうだ とわかったからからである。需要と供給の
バランスによって、商業は成り立っている。県内に、この
映画が来ていないことが、それとつながるのかどうか
本当のことは、わからないが、もしこのまま上映される
予定がないなら、驚くと同時に私の件名の考えがますます
真実味を帯びてくる。

 そして、もう一つ。環境関連の話しをいろいろな人と
していて、思うことがある。大抵、他地区から来られた方が
頑張っておられるということ。そして、地元の人がわかって
いない という共通の嘆きがあるということ。特にお年寄り。

 なぜか。思うに、目の前には琵琶湖というとてつもなく
大きい淡水の塊があり、見上げれば、たいていどこからでも
緑の山が見える。つまり、危機感が持ちにくいのでは
ないだろうか。少々、ニンゲンが手荒いことをしても、
自然は雄大だから、たいしたことにはならない。そういう、
感覚が まだあるような気がする。
 
 けれど、そうではないよ と、考える者達が、滝の
上流で別のルートを探しているような気がする。そうでないと、
全員で、滝からおっこちてしまう。そんな気がする。
 
 モアイ文明が滅ぶ前に、モアイの石像ばかり作っていては
いけないのではないか と、気づいていた人は、当時モアイ島に
いたそうだ。
 歴史は何の為に学ぶのか。 私達は学習しているのだろうか。

Posted by B子 at 21:06Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月03日   「袋要りません」を言うタイミングは難しい

 お店の人達は作業がパターン化している。
なので、その流れを止めてマニュアルと違うことを
要求するのは、かえって申し訳ない
事態となることがあり、そうならないように
気をつけるには、結構な緊張感を要する。

 たとえば、袋に入れ終わった時点で、「そうそう
袋要らないんです。」などと言おうものなら、その
店員さんをとても不機嫌にさせてしまう恐れがある。
一度大失敗をしてしまった。年配の彼女は、袋から
取り出した商品に店名の入ったテープを貼り、袋は
後ろにあったゴミ箱に入れた。

 レジを打つ時やあちらが話しておられる時に、
言うのも、かえって混乱を招く。

 だから、レジを打ち終わり、袋に入れる作業に
入る直前に言わないといけない。ついぼんやり
していると、あっという間に次の作業に入って
しまう。とてもわずかなタイミング。

 しんどい。

 
 それが、やっと近頃、店員さんの方から
「袋に入れますか?」と、訊ねてくれるお店が
ちらほら現れた。平和堂はその一つ。有難い。
袋ポイントも有難い。ただし、わざわざエコカードを
作るお店があって、それは結局カードというゴミを
生産しているわけなので、矛盾を感じる。

 何年か前、このレジ袋が世界中で年間、琵琶湖の
3杯分の石油を使って作られているとどこかで知った。
あれから、世界はますます都市化しているから、
今では 3杯どころではないと想像される。

 とはいえ、たった一枚のレジ袋を 苦労して
断って悦に入っていても、車で買い物に行くのだから、
おかしなものだ。

 というわけで、近頃 歩くようになった。

 荷物の多い買い物は、まだ車で行くが、自分に
問うてみて、やりたい と思ったことだけ、
やっていくことでストレスは溜まらないはずだから、
また やれることを増やしていきたいと思う。

 ま、どれもこれも自己満なだけだと思うが。

Posted by B子 at 00:06Comments(0)